7月本部月例研究会報告.
7月研究例会は、少し蒸す梅雨曇りにもかかわらず、30人を超える参加者があり、四ツ谷区民地域センターで20日に開催されました。
当日は、『一宮木曽川町伝来「仁王胴具足」から見た桃山期の塗装技術』との演題で、
東京文化財研究所/保存修復科学センター・伝統技術研究室長 北野信彦氏をお招きして
ご専門の伝統塗装技術、材料について科学的分析の結果から得られた新知見についてお話しいただきました。
古来より建造物、武具、日用品等の材料保存、装飾目的で漆を中心に塗装されてきました。
講師は、それまでの統治者と全く違った地下階級が日本を支配するに及んで文化が一変したとして
従来、安土桃山時代とされてきたくくりでは収まらない事例があり、
安土時代から江戸時代寛永期「島原の乱」までの文化期を設定されました。
その具体例をこの文化期の建造物、漆器等、多くの画像をスライドで示して
それまでの塗装技術、材料にどのような変革があったのかを解り易く説明されました。
昨年、一宮市博物館と合同でこの「仁王胴具足」に対する調査をレントゲン撮影、化学分析を駆使して行いました。
この仁王胴の肌色塗装(スペイン王宮武器庫博物館の仁王胴具足にもある)について、
どのような塗装材料使えばこの自然な肌色が発色するのかを化学分析から得たクロマトグラムのピークから
鉛白、水銀朱顔料、亜麻仁油と推定される乾性油基材からなる事を講師は突き止められました。
つまり、この塗料は「油絵の具」と同質と判明したのです。
当時の日本は西洋文化を精力的に取り込み、セミナリオ等で洋画の画法も学ぶ機会があったことを述べて蓋然性があるとされました。
この思わない結果には会場がどよめいたほどでした。
蒔絵の技法、使われた布地からもこの具足は1600年前後の製作で、山内一豊の父盛豊所用は無理があるのではとされ、
ほかの伝来である尾張黒田城主となった織田信雄家臣の澤井雄重が有力ではとされました。
次に輸入漆、江戸時代以降の塗装に触れた後、現在、和漆製造の伝統はたった20数名が支えているばかりで、文化の伝承を心配されてお話しを終えました。
参加者からは質問の後に盛んな拍手が起こり、感動的な講演となりました。